また唐突に記事を書き始めた。人よりも忙しくはないのだが、ちょっとでも用事がはいるとそれに心を奪われてそわそわするので、こういうことはできなくなる。たしか、ブログを始めたのも、1~2月のころだったから、やはりこのころにまた再開することになった。これと同じで、記事の更新がなくなるのも去年と同じ9月ころであろう。
いつ三日坊主になるかという感じだったので予定通りである。とはいえ、はじめてよりも格段にはやく文章化と公開ができるのであるから、やったかいはあるのだ。三日坊主でも道具をそろえたりして始めるのを容易くすれば二回目三回目は腰が軽くなるはず、という方法論の応用である。
はじめたころは、人生でも色々変化のあった時期で、ひたすらエモーショナルに書いて公開することができた。慣れてくると、連続継続日数とか星をくれる人とか、ちょっとだけ気になるようになったし、連続で投稿するとなんのかんの読んでくれる回数が増えたりするのも実感した一方で、「何でも書いて公開する」という当初のテキトーさを維持できなくなったりする心境の変化もあった。
一旦はなんでもいいから投稿するモードになり、そうしてひたすら投稿を習慣化していけば、文章制作の腰が軽くなって、すこしずつクオリティを上げたり、構成を良くしたり、概念を整理できるようになるかもしれないと思っていた。だが、どうにも量産できる文章が家庭菜園と「書くこと」についての(このような)雑感しかなく、それもどんどん雑になるので、毎日書くのはやめて、本を読んで引用したり、何かテーマについて語ったりしようなどと腰をいれたら、やっぱり投稿しなくなった。
ほかにもジャンルがバラバラなのも気になっていて、「詩と家庭菜園と雑記は混ざっておすすめされると、それぞれのジャンルを楽しみにしている人(いない)のノイズになるなぁ、なんとかならんかなぁ」「家庭菜園読みに来てなんで『はじめの一歩』の論考見せられなきゃならんのだろうとか思われてるかもなぁ」などというナルシズムがやはり宿命的に日に日に高まってしまっており、当初のコンセプトであるテキトーさや新しいことをはじめるワクワクから遠ざかってしまうのだった。
しかし、このほどうれしい心境の変化があった。しばらくぶりに自分の文章を見直したら、なんと面白かったのである。いや、もちろん誤字とか脱字や明らかな説明不足とか概念の混乱、そしてあまりに意味の無い雑記ばかりなのだ。だが楽しかったのはつまるところ、自分には自分の思い出補正がたっぷりあるからである。「自分のために書くってことはほんとにあるんだなぁ!」と思ったものだ。こんなことなら忙しいときのことも書いとけばよかったな、などと思うのだった。
人間憂鬱になると「自己完結的な物事などない」「すべて淡い期待の上に趣味は成り立っている」「他人に依存しない活動などない」などと暗みのある思考に陥りがちである。きっと読み返して却って嫌になるときもあるだろう。しかし、人間は忘れる生き物である。そして忘れた後は都合よく「そういった考え方は克服し、二度と陥ることはなかろう」、そのように考えることができるのだ。
こうしてしばらくブログを続けれそうなモチベーションを手にしたので、ブログを再開することにしたわけである。